認知症治療薬の過去と未来

    

編集部より

東京書籍の教科書「改訂 化学」や雑誌「現代化学」、文藝春秋、朝日新聞などで活躍中のサイエンスライター佐藤健太郎さんが薬の世界を紐解きます。

 

今回は、「認知症治療薬の過去と未来」と題し、今まさに注目を集めている、認知症治療薬の開発までの紆余曲折の歴史、これからの展望について解説していただきます。

近年認知症治療薬として承認されたレカネマブ、ドナネマブは大きな話題となりました。長年待ち望まれてきた認知症治療薬は、この先製薬業界・そして患者の方々にどのような影響を与えるのか、見ていきましょう。

 

執筆/佐藤健太郎(サイエンスライター)

編集/メディカルサポネット編集部

   

 

 

1. 世界一求められている薬

認知症のイメージ

 

 

医薬品の世界では、「アンメットニーズ」あるいは「アンメットメディカルニーズ」という言葉がよく使われます。有効な治療法が見つからず、医薬品などの開発が進んでいない病気に対する医療ニーズのことを指します。

 

現代における最大のアンメットメディカルニーズは、間違いなく認知症の治療法ということになるでしょう。現在、世界の認知症患者は約5500万人、毎年新たに約1000万件の新規症例が発生しており、その数は今後高齢化社会の進展に従ってさらに増えていくと考えられます。

参考:https://japan-who.or.jp/factsheets/factsheets_type/dementia/

 

認知症と一口に言ってもいくつかのタイプがあり、そのうち最も多いのがアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)と呼ばれるものです。記憶力・判断力・理解力の低下、怒りっぽくなる、徘徊するなどの症状が表れ、最終的には家族の顔の判別や、自力での歩行や食事さえできなくなってゆきます。

 

認知症は、他の病気に比べて社会的な負担が極めて大きいのが特徴です。2019年の推計によれば、認知症患者の介護などによって世界で約1兆3000億ドルの経済損失が発生しているということです。家族の介護を理由に退職する人は、日本だけで年間10万人前後にも及んでおり、その社会的ダメージは計り知れません。

 

これを書いている筆者自身も、まさにこの問題と向き合っているところです。時間的、経済的損失もさることながら、これまで世話になり、多くの思い出を共にした家族の精神が残酷に崩壊してゆく有り様は、見ていてあまりに悲しいものです。

 

こうした状況でもあり、世界の製薬企業は全力を上げて認知症治療薬の開発に取り組んできました。本稿では、こうした認知症治療薬の現状を紹介してゆきます。

 

2. 史上初の治療薬

待望のアルツハイマー病治療薬が、初めて承認を受けたのは1997年のことです。エーザイから登場したドネペジル(商品名アリセプト)がそれで、発売時は世界からの称賛を受け、開発者に対してノーベル賞の声さえ上がりました。

 

ただし、ドネペジルはアセチルコリンという伝達物質の濃度を高める薬です。いわば、今生き残っている脳細胞に頑張ってもらうものであり、症状の進行を多少遅らせるのが精一杯です(精神科の医師からは、端で見てはっきり効き目が感じられる患者はあまり多くないとの声もあります)。

 

その後、メマリーやガランタミンなどの医薬も発売されましたが、効果は五十歩百歩であり、認知症問題の解決にはほど遠いものでした。

 

3. アミロイドカスケード仮説の登場

アミロイドと認知症のイメージ

 

認知症の治療薬創出には、この病気がどのようなしくみで起きているのか、解明することが不可欠です。研究の蓄積により、有力となった仮説は次のようなものです。

 

まずアミロイドβというタンパク質の断片が脳内に蓄積し、その影響でタウタンパク質が神経細胞の中でたまり始める。これが固まり、線維となって脳細胞を破壊し、認知機能を低下させる――というもので、アミロイドカスケード仮説と呼ばれます。すなわち、最初のステップであるアミロイドβの蓄積を防げば、アルツハイマー病を予防あるいは進行を食い止められると考えられます。

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