
編集部より
厳しい社会環境から赤字に苦しむ病院が多い中、過去10年間で売り上げを3倍以上に伸ばした一宮西病院(愛知県一宮市)が注目を浴びています。
上林弘和病院長(兼法人理事長)が「断らない医療」を掲げ、オリジナリティーに富む戦略で急成長を遂げてきた同院。
事務長を務める前田昌亮さんに、医師採用を中心とした具体的な取り組みと、これからの病院経営について伺いました。
取材・文/中澤 仁美
編集/メディカルサポネット編集部
1. 地域のニーズに応える医師採用の「独自戦略」とは?

地域から真に求められる医療を提供する――。病院の存在価値は、この一言に尽きると思います。
当院の歴史は1955年に上林医院を開いたことに始まり、医療法人杏嶺会の設立、急性期医療の強化を目的とした一宮西病院としての開院、開明地区への新築移転、新館の増築などを経て拡大し、さまざまな機能を拡充してきました。
その背景にあるのが「まだ地域にない医療を提供したい」という思いであり、これが医師の人事戦略における根幹にもなっています。
例えば、かつて一宮市では夜間帯に小児救急を受け入れられる病院が存在せず、遠方の大きな病院まで搬送するより他ありませんでした。
しかし、子どもは状態が急激に悪化することも多く、重篤な場合は医療提供が間に合わないケースも……。
そこで当院では小児科医の人数を増やし、24時間365日、小児救急の受け入れが可能な体制を整えたのです。
交通外傷などによる指の切断に強い整形外科医、肝臓の専門医なども同様で、「ニーズはあるにもかかわらず現存の医療体制では対応できていない領域」の強化を主眼に、医師を増員してきました。
このように、地域のニーズに合わせて柔軟に組織を変容できることが、当院の大きな特長の一つ。
それを実現するために欠かせないのが、医局人事に頼らない「攻めの採用戦略」です。
まずは病院長、診療科部長、人事部で検討を重ね、必要な医師像(ターゲット)を明確化。
年齢層、臨床経験、専門医資格などの詳細を、この段階で絞り込むことがポイントです。
その後、医師の中途採用を担う院内の専門チームが独自にリサーチを進め、リファレンスチェックも行った上で、該当する医師にアプローチするスタイルを取っています。
長期的な活躍を見越して入職してもらっているので、採用後に経営戦略を一緒に考えるような関係を築きやすい点もメリットだと言えるでしょう。
優秀なベテラン医師が多く在籍し、多様な症例で活躍していることは、新卒採用にも好影響をもたらします。
医師はある意味で「職人」であり、若き研修医が望むのは、技術力が身に付けられる臨床環境とハイレベルな指導医です。
当院はこれらの条件を備えているため、例年、研修医から多数の応募がある状態です。
また、私たちは医学生専門の採用チームも持っており、病院見学に来た医学生一人ひとりと向き合い、当院へのマッチ度が高いと判断した場合は後日、各大学まで出向いて1対1の面談を行っています。
医学生の疑問点を解消したり、お互いに適性を確認し合ったりすることが、求める人材の入職につながるわけです。
2. 職種ごとの要望を踏まえたモチベーション向上策

こうして入職してもらった医師にモチベーション高く活躍してもらうために、当院では「医師専属の事務員」を2名配置しています。事務手続きなどを担う秘書とはまた別に、医師の要望を吸い上げたり、マネジメントを行ったりするための専門スタッフという位置付けです。
どれだけ年齢が離れていてもお互いを「先生」と呼び合うなど、医師の世界には独特の文化があると感じたことはないでしょうか。
いわゆる会社組織のような感覚で上意下達することが難しいケースも多いからこそ、一人ひとりの医師に組織の方針を丁寧に説明したり、医師同士あるいは他職種との橋渡しになったりする存在が、非常に重要なのです。
コミュニケーションの過程で、本人のキャリア形成の相談に応じたり、院内の課題発見につながったりするケースも少なくありません。
また、これは医師に限ったことではありませんが、さまざまな福利厚生により働きやすい環境を整えることも意識しています。
その代表例が、「家事代行サービスの割引制度」。
掃除、洗濯、調理などの家事を必要に応じてプロにアウトソーシングしてもらい、その費用の一部を当院が担うという内容です。
近年では産休・育休後に復職する方が増えていますが、本当に大変なのは「復職してからの生活」ではないでしょうか。
家事の負担は想像以上に重いもので、専門職としてのキャリア形成にも影響をもたらす可能性があります。
こうした部分を少しでも職場が負担し、業務に集中しやすい状態をつくることが重要です。
組織エンゲージメントという観点では、職種(部門)ごとの評価制度が要になると思っています。
病院では多様な専門職が働いており、それぞれめざしていることも、物事の受け取り方も大きく異なるもの。
かつて当院では、全職員向けの一律的な評価制度を導入したことがあるのですが、うまく運用できませんでした。
そこで、職種ごとの特色を捉えた評価制度に刷新。組織がその職種に何を求めているかが明確化された結果、日常的な報連相の質から改善が見られ、指導や評価も具体化されていったのです。
職種ごとのタスクを明示することがモチベーションの維持・向上につながり、「淡々と業務をこなすだけ」という姿勢を避けられると感じます。
3. 広報活動は「空中戦」と「ゲリラ戦」の両軸で

病院としてより充実した体制を構築すると同時に、それを皆さんに知ってもらうための広報活動も非常に重要です。
当院では、既存のメディアを生かす「空中戦」と、病院というリアルな場を用いた「ゲリラ戦」の両軸で広報を展開。
メディアに露出して広く情報を周知し、実際に足を運んでもらうことで当院の魅力を感じてもらう――というイメージです。
「空中戦」では、テレビや新聞などを積極的に活用します。
例えば、感染症の特集を組むような時に当院の医師をキャスティング・取材してもらえるよう、プレスリリースを送るなど日常的に営業をかけておくわけです。
その上で、自院の公式YouTubeチャンネルのコンテンツを充実させます。
単なる施設紹介に終始せず、各分野の専門医が登場し、気になる疾患や症状について分かりやすく解説する動画を多くアップしています。
「YouTube=若者しか観ない」というイメージがあるかもしれませんが、当院の視聴者のメイン層は65歳以上。
ここで私たちの考え方や在籍する医師についてもお伝えし、病院本体のウェブサイト閲覧につなげる狙いです。
そして「ゲリラ戦」として、実際に来院してもらえるようなイベントを数多く展開しています。
その一つが、入場無料の「市民公開講座」。各種がん、認知症、心疾患、糖尿病、腰痛、AEDの使い方など多様なテーマを取り上げ、医師が市民の皆さんに説明する講座を、週1回程度というかなり頻回なペースで行っています。
〈市民公開講座の様子〉
また、毎月第一水曜日には、地元の特産品をお届けする「あんずマルシェ」を開催。
地元の経済や食文化の活性化に貢献するものですが、看護部による「なんでも相談会」を併せて実施し、健康相談に応じたり、地域の声に耳を傾けたりする機会にもなっています。

〈あんずマルシェ・なんでも相談会の様子〉
このように広報活動においては、病院を知ってもらうだけでなく、足を運んでもらうまでの流れをつくることが大切です。
イベントで来院した方から、「思ったより遠くなかった」「イメージよりきれいな病院だった」といった声を頂くことは少なくありません。
病院というものにネガティブな固定観念を抱く人も多いので、健康な時から気軽に訪れてもらう機会をつくり、ポジティブな実体験を得てもらうことが重要なのです。
こうした一連の広報活動により、「いざとなったらあの病院に行こう」という層が増えていくわけです。
4. 事務方の「執着心」が病院経営を変える原動力に

病院経営において、トップの意向や熱意が重要であることは言うまでもありません。
当院においても、上林弘和病院長(兼法人理事長)自身が地域医療への並々ならぬ思いを抱き、アイデアマンでもあることがすべての原点になっています。
それを実現するためには、決まった方針に則って現場がきっちりと動くことが欠かせませんが、多職種がそれぞれの文化・考え方で動く病院という場では容易ではありません。
そこで、人事管理部門などの事務方が部門間をしっかりとつなぎ、一つひとつの施策へ「執着心」を持って取り組むことが、とりわけ肝要なのです。
一例を挙げてみましょう。
当院では1カ月当たり約2300件の入院を目標としています。
これは、いわゆる予定入院だけでは達成できない数値です。
つまり、救急外来にウォークインで訪れた患者さん、あるいは救急搬送されてきた患者さんなどを積極的に「取りに行く」ことが求められるわけです。
この件数についても、当院では医師一人ひとりの目標と実績(達成率)をすべて把握。
この点をあいまいにせず、細かく数値管理する姿勢をいかに徹底できるかが、経営力の差につながると考えています。
状況に応じて、医師専属の事務員が「〇〇先生、今日はあと〇件ですよ」などと声かけすることも珍しくありません。
「事務員が医師にそんなことを言うの?」と驚かれるかもしれませんが、それが可能なコミュニケーション力を備えた人材を配置しています。
相手の気分が悪くならないよう上手に現状を伝える、応援する、必要なサポートをする――。
こうした能力に長けた事務方がいてこそ、目標が目標で終わらず、売り上げアップが実現できるのです。
実は、当院の人事部門には、旅行業界や金融業界など異業種の元・営業職が多く集まっています。
私自身、以前はキーエンスという会社で働いていました。
一般企業、特に大きな組織では、自分の仕事がユーザーにどのような影響を与えているか分かりづらく、手応えを感じにくい側面があります。
一方、病院での仕事は「自分が採用した医師がこんな活躍をしている」「外来の様子や患者さんの表情がこれだけ変わった」といったように、仕事の成果がすぐ目に見える面白さがあるように思います。
病院というと医療の専門職がフォーカスされがちですが、ここまでお伝えしてきた通り、事務系職員が活躍できる余地は非常に大きいです。
むしろ、多くの病院に欠けている重要なピースだと言えるかもしれません。
これからの時代も生き残る病院であるためには、事務方の人材をいかに活用するかが一つのキーになるでしょう。
文系の学生が、就職先として病院を検討することが当たり前になった時、この業界は大きく変わっていくのかもしれません。
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◆医療法人杏嶺会 一宮西病院(愛知県一宮市)◆ 2001年の開院以来、地域の急性期医療を担う病院として機能を高めてきた。2009年11月、開明地区に新築移転。2023年7月には同敷地内に新館B棟を増築し、現在の病床数は801床(一般病床621床、療養病床180床)。「24時間365日、いつでもどんな怪我や病気も断らない」「最新の設備と高度な医療技術の提供」「患者さま中心のきめ細かい医療サービスの実践」を方針に、救命救急からリハビリテーションまで、一宮・尾張西部地区の地域医療の拠点となっている。
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プロフィール
前田昌亮(社会医療法人杏嶺会 営業・人事本部長・一宮西病院 事務長)
【経歴】
1977年 兵庫県神戸市生まれ
2001年 同志社大学商学部卒業
2001年 株式会社キーエンス入職。顕微鏡・測定機器の新規開拓営業に従事。
2006年 パーソルキャリア株式会社(旧(株)インテリジェンス)入職。転職希望者延べ2,000人に対してカウンセリング等による転職支援を行う。
2011年 レイス株式会社入職。ヘッドハンティング事業に従事。経営者から直接経営課題をヒアリングし、課題解決できる人材のプロファイリング、候補者リサーチ、移籍交渉まで一貫して行う。
2013年 社会医療法人杏嶺会入職。人事部医師採用チームに配属。
2020年 人事部部長に就任。
現在 法人全体の営業系職種及び人事部門の統括、一宮西病院事務長の職責に就く。
一般企業の営業・人事部門から医療界の指導的立場へと至る、ユニークなキャリアを歩んで来ました。
この異色の経歴が独自の視点と戦略を培うことに繋がりました。
一宮西病院および杏嶺会における採用制度の変革、職員の能力開発、そして成長志向の組織文化の醸成といった一連の事例は、今日の厳しい医療環境において卓越性と持続可能性を目指すすべての組織にとって、実践知の一端になれば幸いです。