2021.10.29
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小林 光恵さん(看護師+作家)

+αで活躍する医療従事者 vol.10

+αで活躍する医療従事者 vol.4 久保 さやかさん(看護師・保健師+人材育成・組織開発コンサルタント)

  

編集部より

医療従事者の中には「+α」の技能を生かしながら病院以外の多彩なフィールドで活躍する人も少なくありません。こうした人たちは、どのような経緯で「+α」を学び、仕事に生かしているのでしょうか。今回ご紹介するのは、マンガ「おたんこナース」の原案・取材をはじめ、数多くの本を出版され、現在はエンゼルメイク研究会などの活動も精力的に行う、小林光恵さんです。いつものインタビュー取材と違い、ご本人にご執筆いただいた特別編でお届けします。

 

執筆・写真提供/小林 光恵

編集/メディカルサポネット編集部

 

   

 

プロフィール

小林 光恵(こばやし みつえ)

看護師・作家・看護に美容ケアをいかす会代表

茨城県行方市生まれ。つくば市在住。鉾田第一高等学校、東京警察病院看護専門学校卒業。エンゼルケアの検討を続けながら「看護に美容ケアをいかす会 N+BC(Nursing +BeautyCare)」の代表として、美容のノウハウ(特にフェイスマッサージ)をケアにいかすメリットについて伝える活動中。”なめがた大使”として、帰省メシ(帰省したときのご飯のこと)にまつわる企画や連載にも取り組む。「月刊ナーシング」2022年4月号より、小説「令和のナースマン」を連載。ご自身のホームページでも随時情報更新中。

 

 

「とにかくやってみるマインド」をもたらした看護師経験

1960年、茨城県生まれの私は、のんきに構えていたことなどから大学受験がうまくいかず、高3の1月になってあわてて大学以外の道を考えることになり、その際に地元の保健師さんの姿がふと頭に浮かんだことをきっかけに東京警察病院看護専門学校に進みました。

 

+αで活躍する医療従事者 vol.9

看護学校1年生のとき。実習服を着て。

 

 

勉強するにつれて、私は看護職に向いていないのではないか、という思いが生じましたが、1年時の基礎実習で受け持った患者Uさん(この方とのやりとりが「おたんこナース」の「仮面様顔貌」という回のお話作りにつながりました)に励まされるなどして思い直し、看護学生をつづけました。

 

看護をする立場の者が患者さんに励まされたという事実が、その後の私の人生を折々に支えてくれています。「おれはあんたみたいな看護婦がいてもいいと思う」は、受け持ちの最終日にUさんからいただいた言葉です。

 

+αで活躍する医療従事者 vol.9

看護学校3年生のとき。母性看護実習中の1コマ。

 

看護師となり東京警察病院に就職すると、次々と亡くなっていく患者さんが、息づかいや肌の湿りや尿量の低下などなどで「人が死ぬ」という真実を、身をもって教えてくれました。そして、急変して亡くなった年下の患者さんのエンゼルケアを行うなどして「私の命とて、いつどうなるかわからない」と考えるようになりました。

 

また、病棟勤務をするにつけ「私はいつ重大なミスするかわからない」という不安とおそれが胸の内で膨らみ、次第に体調も万全はなくなってきて、「辞める」という言葉が頭に浮かんだが最後、誰がなんと言おうと辞めることしか考えられなくなり、丸2年の勤務で「とにかく病院をやめてみる」ことにしました。

 

学生時代に病院から受けていた奨学金は3年間の勤務で返済免除になるのですが、それに満たなかったため、退職金で返済義務の残分を支払いました。辞める前に総看護師長に「いまの医療の状況では、こわくて働いていられない」などと生意気なことを訴えると「ならば免許は厚生省に返しなさい」と返され、私はそれに頷き、退職したその日に看護師免許証を破り捨ててしまいました。

 

小心者で案外堅実なタイプの私がこんな無謀な行動に出てしまったのは、「どうせいつ命が終わるかわからないんだし」といった考えに基づく少々投げやりかつ刹那的な気分に「ミスする不安からすぐにでも逃れたい」「病院を出て考えを整理したい」といった思いがプラスされ、いわゆるいっぱいいっぱいの状態になっていたからだと思います。

 

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