患者に「健康」提供しながら薬歴も効率化
「Musubi」は、患者の疾患や服用中の薬、生活習慣はもちろん、季節や過去の処方などをもとに、最適な服薬指導と生活習慣の改善アドバイスを自動で提案します。専用のタブレット画面を見せながら指導するため、患者とのコミュニケーションは円滑。薬局を単に薬を渡すだけの場所から、患者に健康を提供する場所へと変える「Musubi」の開発に込められた思いを探ります。
次世代電子薬歴システム「Musubi」のタブレットを持つ株式会社カケハシCEOの中尾豊さん
──開発のきっかけは、どのようなことだったのでしょうか?
中尾:Musubiが生まれた背景を「目的」と「手段」の二つに分けて話します。一つ目の「目的」は、「患者さんが得しなきゃ意味ないよね」という思いです。患者さんにどういう価値を提供したら、一番効率的で現実性が高いのか考えていました。OECD加盟国の中で日本は人口あたりの医師数は少ないけれど、薬剤師数はダントツで多いんです。医薬分業率が高まり、薬局と薬剤師の数は増えましたが、患者さんからの薬局へのニーズは「お薬を早くくれればいい」というものが多い。待たせないことはとても大事ですが、薬剤師さんの知見や経験が上手く生かされると、患者さんが安心できたり健康意識を高められたりするケースもあります。薬局を「薬を早くもらうだけの場所」にしてしまうのはもったいないと考えたのです。
それと、医療機関以外で薬や健康に関する正しい情報を得るための仕組みがほとんどないと感じていました。患者さん自ら本やインターネットで情報を探して、それが正しいかどうか判断するのは難しい。特にパソコンが苦手な高齢者は大変でしょう。ある程度、誰かが介入しないといけないと考えた時に薬剤師はキーになると思いました。今、国内には薬局が約5万9,000店舗あり、処方箋は1年間に約8億枚出ています。つまり、薬剤師と患者さんには8億回の会話の機会があるんです。その8億回をちょっとした気付きを提供する場にできたらいいですよね。
次に、薬剤師が患者さんに価値を提供する「手段」としてMusubiがなぜ生まれたのかというと、これは現場のヒアリングに基づいています。実は、薬局を何百社と回り、何百人もの薬剤師さんに話を聞きました。その中で見えてきた現場の課題が、やはり忙しさ。患者さんを待たせないために、「できるだけオペレーションを早くしたい」という声をよく聞きました。薬歴の作成を負担だと感じている人が多いことも初めて知りました。同時にもう一つ見つかった課題が、患者さんに価値提供する会話の糸口がないことです。情報が処方箋しかないので、難しいんですね。そこで、業務の効率化と、患者さんと会話するきっかけを提供する方法を考えました。そういった現場の声に応えようとする中から、Musubiの方向性が決まっていきました。
中尾さんは大学卒業後、武田薬品工業でMRをしていました。担当は大学病院。病院や薬局で長時間待たされている患者の姿を見て、「しんどそうだな」と感じていたことが開発の原点にあるようです。
――そういった課題意識はMRをしているときに感じたのですか?
中尾:MRをしていたから感じたわけではないんです。私は大学病院の担当でしたが、患者さんが病院で3時間くらい待って、病院の前の薬局でも待っている姿を見て、「しんどそうだな」と感じていたことが大きいと思います。一番しんどい人たちが、丸一日かけてしんどい体験をしているという状況は、改善の余地があると感じました。
また、日本という国レベルでの課題意識もありました。日本では健康寿命も平均寿命も延びています。これはいいことである反面、労働人口が減って国民皆保険の維持が財政的に厳しくなっています。このままでは私たちの世代が60、70代になったときには破綻している可能性が高いので、「この状況を変えられたら、すごくやりがいがあるだろうな」と思うようになりました。患者さんの病院や薬局での体験をよくしながら医療費が上がらない仕組みをつくりたい―。じゃあ具体的にどういうことをやればいいのか―。
そこで、あらゆる医局の教授陣と接したり、製薬会社の中で学んだ知識を元に考えたりしました。そのうちに、「勉強してもアクション起こさない自分ってなんやねん」と思って、起業を決めました。
――情報を集めてプロダクトにするまではいろいろな苦労があったと思うんですが、特に大変だったことは何ですか?
中尾:会社は、あるべき姿を事業として形にしただけで成り立つわけではありません。現場の人が何に困り、それを解決するとどれくらいの喜びを提供できてお金が回るのか。そのサービスができるまでの開発期間とそれにかける投資がどれくらいなのか、ということが重要です。電子薬歴のシステムは大手も含めてもう何十社がつくっています。だから、僕らは電子薬歴を作りたいのではなく、「薬局業界は患者さんや地域の方にどういう価値を出していくべきなのか」ということを考えていたので全く違うものとしてスタートしました。だからこそ、新しいプロダクトをつくる上で、どのレベルで「新規性」の濃度を高くするか迷いました。
Musubiでは、患者さんに対してある「提案」が表示されます。これを「提案」にするのか、問題解決の「コンサルティング」にするのかによって仕様は大きく変わるので、検討を重ねました。例えば、糖尿病の治療指標の一つであるヘモグロビンA1cが8%の方に「2カ月後に7%になるよう一緒に頑張りましょう!」みたいなパーソナルケアにすることもできたわけです。ただ、それは効果が出そうな一方で、経営的にも薬局の現場としても難しそうでした。使いやすさだけでなく、あるべき姿に対して現場が許容できる範囲はどのレベルなのか悩みましたね。
一人ひとりに合った生活習慣のアドバイスなどがタブレットに表示される
――現場の負担を減らしながら大きな効果を出すものを考えた結果、コミュニケーションツールとしての価値提供に行き着くんですね。
中尾:そうですね。つまり、「薬を早くもらえればいい」と思っている患者さんに対して、薬剤師が付加価値を付けやすいインフラがなかったんです。そこで、患者さんに薬剤師の知見を伝えやすいコミュニケーション環境をつくり、「薬剤師さんと話したら自分が得をする」という文化をつくってみようと考えたんです。
――なるほど。薬局に新たなインフラをつくるような感じですね。
中尾:例えば、皮膚科のお薬が2種類処方されたとします。その時に、薬剤師から「塗る順番で保湿効果が違います。先にAを塗ってからBを塗ると保湿量がアップしますよ!」みたいなことが聞けたらうれしいじゃないですか。自分が得する情報を薬剤師さんが話してくれるなら、5秒くらいは聞きますよね。そんな気付きのある体験を提供できたらいいなと思い、形に落とし込みました。
薬剤師のちょっとしたアドバイスで、薬の治療効果が上がるケースは少なくありません。しかし、スピードを優先した結果、薬剤師と患者が会話をする文化は今の薬局にはほとんどありません。Musubiが優れているのは、患者との会話を生み出し、そのやり取りを薬歴に反映させるという患者と薬剤師の二方向にアプローチしている点です。実際に使っている薬剤師からは、どんな反応が返ってきているのでしょうか。薬局薬剤師をしながら「Musubi」の開発に携わっているKAKEHASHIのプランナー、永瀬彩夏さんが答えます。
現在も薬局で働く薬剤師で、Musubiの開発責任者でもある永瀬彩夏さん
永瀬:「薬歴の負担」と、「毎回同じ処方をされている方に対して話すことが思いつかない」という2点が薬局で働く私自身も課題だと思っていました。さらに最近、薬剤師さんがやらなければいけない仕事がどんどん増えています。患者さんに価値提供することはもちろん、効率化や負担軽減に注力したプロダクトを作りたいと思いました。
――薬歴の負担感は、それほど大きいのですね。
永瀬:はい。薬歴は、患者さんとの会話の記録を次の指導に生かすために書きます。やり取りが短いと30秒や1分で書き終わるのですが、長く話す場合もあるわけです。それを薬剤師は、業務の合間に会話を思い出して書いていて、すごく非効率だと感じていました。Musubiは服薬指導しながら薬歴の概要をつくれるところがいいと感じています。
――Musubiの開発には薬剤師さんが関わり、さまざまな意見が反映されているんですか?
永瀬:そうですね、現場の人が使うものなので。社内には20人近い薬剤師がいるのですが、新しい機能を考えたらまず彼らに展開します。結構厳しい意見が返ってくるので、修正して、それをユーザーさんにもヒアリングします。新機能はユーザーの要望から作る場合とオリジナルで作る場合がありますが、オリジナルの時は特に慎重です。本当に現場で通用するのか、確かめながら仕様を固めていきます。アップデートも月に1回ほどしています。
――特に反響が大きかったサービスはどういうものですか?
永瀬:MusubiはSOAP形式の薬歴なんですが、「P(Plan)」の中に「次回やること」を書くスペースがあります。それを患者さんと共有する画面に自動表示したことで、「前回話したこれは、できていますか?」と確認ができるようになり、それも薬歴に入るようにしました。これは患者さん側からも反響がありましたね。ちなみに、SOAPを初めて導入する薬局には弊社カスタマーサクセスが行って、研修をしています。
――魅力的なツールなので導入数は伸びていると思いますが、現状は何店舗ほどで導入されているんでしょうか?
中尾:問い合わせは1万件以上いただいており、毎月数十店舗ずつ導入が進んでいます。解約はほとんどないですね。最近、薬局からのフィードバックで「働きやすくなった」とか「職場が明るくなった」といった声をよくいただきます。業務の効率化だけでなく、「働いていて楽しい」というレベルにまで来ているのがうれしいです。「どういう風に話したら患者さんは喜ぶかな」とトライアンドエラーを繰り返し、患者さんからの反応がよくなり、職場の雰囲気もよくなる。その結果、採用がしやすくなったという事例が増えています。Musubiを導入したことで残業時間が減ったり、患者さんと会話する余裕ができたり、ミーティングができたり、対物に充てていた時間が対人業務に切り替えられるようになります。Musubiが提示する情報をもとに話せばベテランのようにふるまえるので、新人の教育にも重宝されています。
患者と薬剤師にとって便利なほか、わかりやすい仕様は医師にも好評
永瀬:Musubiは在宅医療の現場で、医師にとってわかりやすい報告書をつくることにも役立っています。報告書には患者さんの状態と薬剤師の考え、医師への要望を最後に書きますが、それを全部読む時間が医師にはありません。そこで、医師への要望をMusubiの報告書では一番上に示すようにしました。その結果、読んだ医師から薬剤師にフィードバックがあったと聞いたときは、すごくうれしかったです。
――貴社の理想とする薬局や薬剤師の姿はどういうものですか?
永瀬:私は薬剤師を「カリスマ美容師」のような存在にしたいと思っています。今は「近くの薬局に行く」っていう選び方が主流ですが、「あの薬剤師に会いたいからあの薬局に行く」にしたい。よくMusubiを導入すると「みんな一緒になっちゃうでしょ」と言われるんですが、実はそれを目指しています。一定水準を担保した上で、薬剤師一人ひとりの経験値や知識を加えてもらいたいと思っています。将来的には、会いに行くというより「いつでもそばにいる」のが理想です。薬のことで困った時にすぐ聞けるイメージです。もっと患者さんにタッチポイントを作って寄り添える薬剤師を支援したいと思っています。本当に必要な人に医療を提供するため、薬剤師はほぼ在宅医療で外に出ていて、薬局はシステムだけで回っている世界もいいかもしれません。
中尾:僕が創業したのも「Musubi」を作ったのも、ただのHOWなんです。実現したいのは、患者さんが楽になったり健康になったり、安心できる状態をつくることに尽きます。同時に、それが医療費を下げられるものであることです。患者さんのニーズは多岐に渡ります。働いている人は薬を早く受け取りたいニーズが高く、高齢者では「ちょっと話したいから付き合ってよ」という人が多い。タイミングや性別、年齢、働く環境下、地域によってニーズは異なるので、それぞれに適切なソリューションが提供できる医療インフラをつくりたいと思っています。
メディカルサポネット編集部 (取材日/2019年4月15日)
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