2018.12.01
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1人めの師匠[なかのとおるのええ加減でいきまっせ!(229)]

メディカルサポネット 編集部からのコメント

第三次AI(artificial intelligence/人口知能)ブームといわれています。その発展は目覚ましく、従来型のプログラミングされた処理を行うだけではなく、コンピューター自らがルールを見つけて学習していくディープラーニングが可能となりました。監視カメラの映像から犯人を割り出したり、音声でセキュリティを設定したり、医療分野では、この技術を用いて、CTやMRIなどのデータから病気を判定が行えます。もはや人間の代わりではなく、人間以上の活躍が当たり前です。

  

わたしの話など聞いても参考になるまいという気がするのだが、キャリアパスの講演にかりだされることがある。お引き受けした時に強調するのは以下の3点。

まずは、できるだけいろいろなことに興味を持つこと。それから、複数の師匠を持つこと。そして、他人に頼ることなく、自分の頭で考えて決めること、である。

独立するまでに3人の師匠から直接の指導をうけた。どうやって師匠を選んだのですかと尋ねられることがあるのだが、胸を張って言えるようなことは何もない。実は、いずれもが「行きがかりじょう」なのだ。

1人目は大阪大学の北村幸彦先生。アレルギーに関係するマスト細胞(肥満細胞とも言う)が造血幹細胞由来である、GIST(消化管間質腫瘍)がc-kit遺伝子の変異によって生じる、という2つの大きな成果で学士院賞を受賞された大先生だ。

ある先生が、いきなり、北村研の助手ポストに推薦してくださった。研究歴はゼロ、北村先生のことも研究内容もまったく知らなかったのに採用してもらえた。「藪から棒」+「棚からぼた餅」状態である。その先生がおられなかったら、基礎医学の研究者になっていなかった可能性が非常に高い。ほんまに塞翁が馬ですわ。

研究とは何か、実験の進め方、論文の書き方など4年半の間にみっちりとたたき込まれた。多くの人にとってそうだろうけれど、やはり最初の師匠の影響がいちばん大きい。ましてや、連日1時間ずつほどもおしゃべりをしてもらっていたのだからなおさらだ。いまとちがって、当時の教授はあんまり忙しくなかったんでしょうなぁ。

いいか悪いかは別として、研究というものには、なんとか「道」みたいな流儀がある。そういった意味で、わたしの研究スタイルは完全に「北村流」である。

造血幹細胞の移植実験などをしていたのだが、研究室にはもう1つ、生殖細胞の発生を研究しているグループもあった。若いころというのは頭が柔軟である。ちょっと興味を持って聞いているだけで、生殖細胞についても、かなりの知識が身についた。

それが後年、教授になってから生殖細胞を新しいテーマに設定できた大きな理由だ。若い頃にいろいろなことに興味を持っておくべき、という教訓はこういった経験からきているのである。

 

なかののつぶやき

「ノーベル賞のご受賞を機会に、不肖とはいえ、本庶先生の弟子としていくつかの取材をうけました。昔のことをあれやこれやと思い出しながら、あらためて師弟というものについて考えてみるいい機会になりました。3人の師匠から学んだこと、そして、師弟とはどうあるべきかなど、4回にわたって書いてみようと思います」

   

 執筆:仲野 徹 (大阪大学病理学教授)

 

   出典:Web医事新報

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