2019.09.17
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看護教育の未来に期待!寺本美欧さん(コロンビア大学院)

「看護×学び」で現場教育を変える! <インタビュー編>

「私の病院で実施している院内教育は、他院と比べてどうなんだろう」。こうした疑問を感じたことはありませんか?2つの病院で3年半の臨床経験を積んだ寺本美欧さんは、院内教育の違いに触れた看護師の一人。より良い教育が持つ力を実感し、2019年9月からニューヨークにあるコロンビア大学院の教育大学院で研究に取り組み始めました。教育を受けた看護師の視点から教育を授ける管理者の皆さまに向けて、看護教育のミライについて考えます。

取材・文/中澤 仁美(ナレッジリング)
撮影/和知 明(株式会社BrightEN photo)
編集・構成/メディカルサポネット編集部

 

 

  

 

◆プロフィール◆

寺本 美欧(てらもと みお)さん

看護師・大学院生。上智大学総合人間科学部看護学科卒業後、都内大学病院ICU病棟に就職。その後、埼玉県の地域密着型病院脳卒中センターへ転職。2019年9月よりアメリカ・NY州にあるコロンビア大学教育大学院の修士課程に在学中。専攻は成人教育学とリーダーシップ。「すべての看護師に最高の教育の場を」をモットーに、看護師の継続教育のシステム構築を目指す。海外大学院留学記ブログ「看護師ちゅおのアメリカ大学院留学記」日々更新中。

 

第1志望の大学病院で直面した現実

 

――上智大学の総合人間科学部看護学科を首席で卒業し、大学病院へ入職。至って順調のように思えますが、進路選択で悩みはありましたか。

 

アフリカで活躍している日本人看護師の姿をテレビのドキュメンタリー番組で観たことが、この世界に興味を持ったきっかけでした。得意の語学力を生かして世界を舞台に活躍できる専門職として、看護師という仕事に大きな可能性を感じたのです。私が学んだ上智大学では、1年次に他学部の講義を選択することもできました。看護学科でありながら文学部の講義に出て、「『星の王子さま』の視点は看護に結び付くところがあるかも」などと考えることは楽しく、私の看護観を広げてくれたと思っています。

 

学年が上がって就職先を具体的に考えるようになり、第1志望としたのは大学病院でした。「若いうちは大学病院で経験を積む」というのは同級生の中でも一般的な考えでしたし、実際に7割程度の人がその通りの道を進んだと思います。病院説明会に参加しても、大学病院のブースでは「最先端の技術」「扱う疾患・病態の多様性」「充実した教育制度」などがアピールされていて、間違いのない選択肢のように感じました。そして、いくつかの病院のインターンシップに参加して、その中で印象の良かった都内の大学病院に心が決まり、実際に入職する運びとなったのです。ですから、確かにここまでは順調だったと思います。

 

 

――ところが、その大学病院では大変な思いしたそうですね。入職1年未満で退職した背景には、何があったのでしょう。

 

入職してすぐ、就活時に職場環境について調べたことは、まったく不十分だったと痛感しました。素敵な社員食堂のビュッフェも、実際には時間がなくて誰も使っておらず、急いでカップラーメンをすすって即座に仕事へ戻るのが当たり前の環境。とにかく忙しくて、一日中座る間もないほど。しかし、最も事前の想定とギャップが大きかったのは「教育制度」でした。

 

私が勤めていた大学病院では、プリセプターシップでは相性の問題が起こりがちという理由で「職場全員で新人を見守ります」というスタンスを取っていました。この方法にはメリットもあるのですが、教育における責任の所在があいまいになるという負の側面もあったのです。自分の研修の進捗状況を把握している先輩が誰もおらず、気軽に相談できる人がいないという状況はとても苦しかったです。

 

その後、入職して1か月もたたないうちに初の夜勤に入ることになったり、用語もろくに分からないまま人工呼吸器の管理を担当したりと、大変なスピード感で業務を任されていきました。休日や睡眠時間を返上して勉強しても追い付けず、完全にパニック状態だったと思います。同期も同じような状況でしたから、支え合うことも難しい。だんだんと精神的に追い込まれていき、翌年のお正月明け、私の中にある糸がプツンと切れたのを感じました。

  

  

「楽しく働く」を実現してくれた教育の力

  

――辞めようと決めてから次の職場に進むまで、どのように転職活動をしたのですか。

 

そもそも、当時は自分の心身の状況を客観的に判断できる状態になく、「這ってでも職場に行かなくては」と思い込んでいました。しかし、私の様子を見ていた両親が「これはおかしい」と感じ、ストップをかけてくれたのです。もし、あのとき立ち止まることができず、完全にバーンアウトするまで頑張り続けていたらと思うと、ぞっとします。

  

一方で、離職期間が長くなったら二度と看護師として現場に戻れないような気がしてしまい、その点でもかなりの危機感を覚えていました。そこで、退職を決めた翌々日、祖母が通院していた地域密着型病院に連絡を取ってみたのです。そこの看護部長にこれまでの経緯を話したところ、「ぜひ一度こちらに来てみてください」と優しい言葉を頂きました。

 

そこで、空いた期間でニューヨークへ一人旅に行き、活力を取り戻してから、病院のインターンシップに参加。私の弱さや失敗をすべてさらけ出して、それでも受け入れてくれる病院だと確信しました。「ここでダメだったら、もう看護の道はあきらめよう」という覚悟で入職を決めました。

 

 

――大学病院と比べると規模は小さくなりますが、実際に働いてみてどう感じましたか。

 

拍子抜けするほど楽しい毎日でした。以前の病院との違いを最初に実感したのは、昼休みに先輩たちとお弁当を食べながらバラエティー番組を観ていたとき。仕事中はしっかり指導して、時にはしかってくれる一方で、休憩時間はとてもフランクに接してくれる方たちばかりでした。「看護師はつらいのが当たり前」という考えが染み付いていたので、最初は戸惑うほどでした。ただ、オン・オフをしっかり切り替えて日々を過ごすうちに、いつしか笑顔で職場に通えるようになっていきました。

 

「どうしてこんなに楽しく働けるのだろう?」と考えたとき、思い当たったのは教育制度の違いでした。私が入職した地域密着型病院で採用していたのは、エルダー制度。1人の新人に対して「エルダー」と呼ばれる先輩が2人付いて見守る方法です。プリセプターシップのように1人の先輩がすべての責任を負うのではなく、エルダーが定めた教育方針に従って、具体的な技術指導はそのとき現場にいる先輩たちが行う点が特徴的だと思います。

 

中途採用の私にも2人のエルダーが付いてくれたのですが、その存在は言葉にできないほど大きなものでした。すき間時間で疾患に関するクイズを出してくれたり、プライベートなことまで相談に乗ってくれたりと、本当に面倒見のよい方たちだったのです。また、中小規模の病院ならではかもしれませんが、実際に担当できる看護技術の範囲が大学病院より広いことも興味深かったです。先輩方の助けを得ながらレベルアップしていく中で、看護師としての自信を取り戻せていったのだと思います。

  

 

「成人教育」の側面から看護界を変えたい

 

――2019年の秋から、アメリカの大学院へ留学が決まっていると聞きました。研究テーマとなる「成人教育」とは、どのようなものでしょうか。

 

私が実感した教育の力についてもっと深く知りたいと思うようになり、いろいろと調べるうちに「成人教育」というキーワードにたどり着きました。それまで聞いたこともない言葉でしたが、「組織の中で大人が学び続けるためにはどうすればよいか」を具体的に考えていく学問で、私の興味にぴったりマッチしていたのです。実は、私が入職した地域密着型病院の教育制度は、ほぼ成人教育の分野で推奨されているあり方に沿っていました。教育担当の主任に話を聞いてみると「自分の経験から良いと思う方法を選んだ」とのことでしたが、その裏付けとなるものを体系立てて学びたいと思うようになり、留学を決意したのです。

 

病院での勤務は継続しながら、留学資格を得たり、資金を用意したりといった準備を進めていきました。そのかいあって、アメリカのTeachers College Columbia Universityに、2019年秋から約2年間の留学が決まりました。

 

働きながらの留学準備は大変でしたが、「後輩たちに自分と同じような思いをしてほしくない」という思いがモチベーションになりました。入職先の病院や部署によって受けられる教育の内容や質がまるで違うというのが、看護界の現状だと思います。くじ引きのように看護師の人生が決まってしまうのではなく、できるだけ多くの人に楽しく長く働いてもらえるよう、教育という側面から力を尽くしたいと考えています。

 

 

――留学先では具体的に何を学び、帰国後はどんなことを実現したいですか。

 

まずは成人教育の核となる理論をしっかり学びたいです。成人教育では、全員を同じ型に当てはめる「クッキーカッターアプローチ」をよしとしていません。同じ形のクッキーを量産するような方法では、これからの看護教育はうまくいかないのではないでしょうか。大切なのは、それまでその人がどんな経験をしてきたかを尊重すること。そして、それに応じた教え方を工夫することです。

 

また、eラーニングのようなテクノロジーの活用や、モチベーションの保ち方といったメンタルアプローチにも興味があります。現地でしか学べないことを日本に持ち帰り、帰国後は「今は思い付かないようなこと」に挑戦できれば、と。それから、病院内に設置する看護師専門の教育機関のことも気になっています。アメリカでは導入している病院も多いということなので、フィールドワークとしてたくさん見学したいです。

 

初めての職場を1年目で辞めたときはもちろん、今の職場を離れて留学することも、とても勇気のいることでした。今でも「これでよかったのかな?」と眠れない夜を過ごすこともあるくらいです。しかし、それだけの価値があることだと信じてもいます。私が好きなのは、「価値あるところほど行く前は怖い」という言葉。一歩踏み出したからこそ見える世界があるということを、これから証明していきたいです。

 

  

(取材日/2019年8月6日)

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