2019.11.12
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川﨑つま子さん【前編】(東京医科歯科大学医学部附属病院)

プロフェッショナルに聞く vol.1

幅広い視野で課題解決に挑み、組織を引っ張る凄腕の管理者たちがいます。そうした方たちのもとを訪ね、これまでの経験やマネジメントの秘訣について話を伺う本シリーズ。
初回となる今回、登場していただくのは、東京医科歯科大学医学部附属病院副院長・看護部長、川﨑つま子さんです。
前編では、看護部長になるまでの、看護師としてのご経験を中心に伺っています。
「人は望まれた場所に行くことが一番幸せ」という言葉が、川﨑看護部長のキャリアを示しているようです。

取材・文/中澤 仁美(ナレッジリング)
撮影/和知 明(株式会社BrightEN photo)
編集・構成/メディカルサポネット編集部

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東京医科歯科大学医学部附属病院 川﨑つま子看護部長

  

 

【プロフィール】

川﨑つま子(かわさき・つまこ)

東京医科歯科大学医学部附属病院 副院長・看護部長

岩手県出身。国立国際医療センター病院(現・国立国際医療研究センター病院)、大宮赤十字病院(現・さいたま赤十字病院)、小川赤十字病院、足利赤十字病院を経て、2014年より現職。

◆演劇に夢中だった私が看護の虜に

  

――川﨑さんが看護師になるまでの経緯を教えてください。

 

叔母が看護師だったこともあり、私にとって医療の仕事は小さなころから身近な存在でした。岩手県の実家を離れ、埼玉県にある国立の看護学校に進学したのですが、実は当時、私は演劇にとても興味を引かれていて、実家を出た背景には「関東の劇団で活動したい」という目的もあったのです。看護学校の先生方も私の思いを理解してくださり、看護学生としての勉強と劇団の稽古を両立させることができました。卒業するときは進路に悩みましたが、ある先生から頂いた「一度看護をやってみたら、演劇以上におもしろくなるかもしれないよ」というアドバイスに背中を押され、国立国際医療センター病院に就職しました。

 

働き始めてすぐ看護の奥深さを思い知り、「演劇にエネルギーを割いている場合じゃない!」と心が固まったことを覚えています。いくつかの失敗が、そのきっかけとなりました。例えば、脳梗塞で入院していた女性患者さんのベッドサイドで、「周りが散らかっているからきれいにしますね」と環境整備をしたことがありました。私としては患者さんのために正しいことをしたつもりでしたが、後から先輩に呼ばれて「あの患者さんがこれまでどんな人生を生きてきて、身の回りの環境が乱れていることをどう受け止めているのか、ちょっとでも考えたことある?」と質問されたのです。

 

よくよく話を聞くと、その患者さんは銀行員の夫を長年にわたり支え続けた、いわば専業主婦の鑑のような人で、「自分の力で身の回りをきれいにできないやるせなさを、あの若い看護師さんは分かってくれないのかしら……」と傷付いていたことを知り、とてもショックでした。そして、看護とは単に正しいとされる知識や技術を決まったパターンで提供するものではなく、その患者さんの価値観を理解した上でケアすることが重要だと知ったのです。

  東京医科歯科大学医学部附属病院 川﨑つま子看護部長 画像2

  

――恩師の言葉通り、「演劇より看護がおもしろい」状況になってきたわけですね。

 

その病院では約3年間、脳外科と神経内科の混合病棟で勤務しました。看護のおもしろさは当然ありましたが、実はリアリティーショックで適応障害になり、食べられない、眠れない、身の回りのことができないといった症状に苦しんだ時期もありました。しかし、あきらめるという選択肢は頭になく、数年かけて少しずつ壁を乗り越えていった感覚です。

 

その後、米国ロサンゼルスで開催されたICN(国際看護師協会)大会に参加することになり、それをきっかけに国立国際医療センター病院を退職しました。学生時代にも日本で開催されたICNの学生大会に参加したことがあり、看護師としての視野を広げる素晴らしい機会になることを知っていたので、ぜひまた参加したいと思っていたのです。

 

退職したとはいえ、「生涯にわたり看護師として現場で働き続けたい」という思いはずっと頭の中にありました。そこで、帰国後は今後のサポート体制を整えるために夫の実家のそばに引っ越し、大宮赤十字病院(現・さいたま赤十字病院)に再就職しました。それまでの経験から、病院の評価というものは、トップが語る素晴らしい理想だけではなく、現場で働いている一人ひとりの姿勢により築き上げられるものだと感じていました。だからこそ、ある程度経験を積み、視野も広がっていたこのとき、あらためて患者さんが満足できるようなケアを実践することで、大きな組織の中で重要な役割を果たしたいと思うようになったのです。

 

――そして看護管理職の道を歩み出したということですが、看護管理についてどのように学んでいったのでしょうか。

 

当初は泌尿器科と外科でスタッフとして働き始めましたが、このころから日本看護管理学会や日本医療マネジメント学会などへ積極的に参加するようになりました。「組織と個人の関係性」といったテーマに意識が向いていたのだと思います。その後、生涯のメンターとなる師長さんのサポートもあり、日本赤十字社幹部看護師研修センターでの研修(1年間)に参加。そこは全寮制だったので3歳の子どもの世話は家族に任せ、週末だけ自宅へ帰るという生活を送っていました。

 

私は赤十字の教育機関を卒業していませんので、ここで初めて赤十字の歴史や理念について学び、感銘を受けました。特に心を打たれたのが、ジャン・S・ピクテ(元・赤十字国際委員会副総裁)の示した「赤十字の諸原則」にあるゴールデンルール(黄金律)。この中で最後のルールとして挙げられているのが「現場で迷いが生じたときには、目の前にいる負傷した人にとって一番いい方法を採りなさい」という言葉でした。この言葉は、今も私の看護管理観のベースになっています。

 

東京医科歯科大学医学部附属病院 川﨑つま子看護部長 画像3  

◆相手の期待をくみ取り、それにこたえることが原動力

  

――研修を終え、教員を経てから師長として現場に戻ったそうですが、求められる役割はどのように変化していきましたか。

 

スタッフ時代は目の前の患者さん一人ひとりのケアに力を注いでいましたが、師長になると基本的にそのようなことはできません。例えば、個々の看護師の力量を判断し、ケアの質にばらつきが生じないようにマネジメントすることが仕事ですから、スタッフ時代とはまったく違う発想で物事を見る必要があります。

 

例えば、「2-6-2の法則」をご存知でしょうか。どんな組織でも、2割の人は優秀な働き、6割が普通の働き、残りの2割が望ましくない働きをするという法則です。これを踏まえたマネジメント上のポイントは、主に真ん中の6割の人たちに焦点を合わせること。望ましくない働きの2割も何とかしたいところですが、その人たちを無理に外そうとすれば組織は壊れてしまいます。かといって、そこばかりにエネルギーを注いでも十分な行動変容は得られにくい。

 

したがって、組織マネジメントという大局から見れば、真ん中の6割により良い行動変容を促し、上位の2割に引っ張られるような組織にすることで、下位の2割を目立たなくすることが大切です。こうした発想で組織をダイナミックに動かせることは、マネジメント職のやりがいの一つですね。

 

――その後、小川赤十字病院や足利赤十字病院に異動され、単身赴任の時期もあったそうですね。看護管理者として様々な現場へ行くことに、戸惑いはありませんでしたか。

 

正直、まったくありませんでした。そもそも私は「師長になりたい」「あの病院で働きたい」といった要望を露わにしたことはなく、基本的には組織の求めるまま、流れに任せて動いてきたのです。これまでの昇進や転勤に関する話は、聞いてから5分で即決してきました。

 

というのも、「人は望まれた場所へ行くことが一番幸せ」という思いが私の中にあるからです。相手の期待にこたえ、求められる役割を全うすることに喜びを感じる性分なのかもしれません。ですから、自分が人員配置を決める側になってからは、ただ異動命令を出すのではなく、それにより相手に何を期待しているのかを伝えるようにしています。

 

相手が求めていることをくみ取り、それにこたえようとする姿勢は、看護管理者としても大切な資質だと感じています。規模の大小を問わず、組織において社会から求められている存在意義というものは必ずあります。まずはそのことを理解して、「ヒト」「モノ」「金」「情報」を管理するということが、マネジメントにおける基本中の基本ですね。

 

後編につづく

  

東京医科歯科大学医学部附属病院 川﨑つま子看護部長 画像4

 

 

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