2021.05.13
5

★映画レビュー★「ファーザー」
~認知症の父親とその娘の葛藤から感じ取る当事者・家族の人生~

―アカデミー賞主演男優賞受賞!名優アンソニー・ホプキンスの人生の集大成に迫るー
編集部より

名優アンソニー・ホプキンスが認知症の父を演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞した話題作。日本でも、2019年に舞台で橋爪功が同役を演じており、世界30か国以上で上演された傑作舞台の映画化です。

本作品の中では、83歳を迎えた彼が、記憶の喪失や混乱の中で、不安や戸惑い、怒りそして時にはユーモアたっぷりに演じています。“アンソニー”という自分と同じ名前の役柄を「自分の父をそのまま演じた」と語る、その演技は、ふとした目線や刻み込まれたしわの細部にいたるまでがリアル。映画史に刻まれる役者人生の集大成と絶賛されるのも、納得です。認知症当事者の視点で描かれる本作品は、本人とその家族の不安・葛藤・意思決定 心揺さぶられる作品になっています。

 

文/久保 さやか(看護師・保健師・人材育成コンサルタント)

編集・構成/メディカルサポネット編集部

 

 

「私は誰なんだ?」映像で描かれる認知症患者の混乱と不安

オペラの歌声が重く幻想的に、そして静かに流れるシーンから物語は幕を開けます。

ロンドンで独り暮らしを送るアンソニーは、娘のアンが手配する介護人を、「誰の助けも必要ない」とことごとく拒否してきました。そんな折、アンから新しい恋人の住むパリへ引っ越すと告げられショックを隠せないアンソニー。ある日、自宅でくつろいでいると物音がし、何事かと見てみるとアンと結婚して10年以上になると語る、見知らぬ男がソファに座っています。アンは離婚したはずでは?そして、アンソニーが誰よりも愛するもう1人の娘、アンの妹のルーシーはどこにもいない・・・。現実と幻想の境界が崩れていく中、アンソニーはある真実に近づいていきます。

 

アンソニーから見える日常、揺らぐ「確かさ」

何が現実なのか、幻視なのか、アンソニーの戸惑い・苦悩を表すかのように、記憶や時間、場所、家族が、連続するシーン中で切り替わり、観ている私たちもアンソニーと一緒に混乱し、不安になっていきます。そう、まるで認知症患者を疑似体験しているかのように・・・。

 

認知症になったことを公表した、日本を代表する専門医である長谷川和夫先生は、自身の症状について「認知症は暮らしの障害。自分の体験の『確かさ』がはっきりしなくなり、いつまでたっても確信がもてない」と著書の中で表現されています。3)まさに、この映画の中でも、アンソニーの「確かさ」は、徐々に、そしてはっきりと揺らいでいくのです。

 

暮らしの障害として、また、その確かさの揺らぎとして、“腕時計”が象徴的な存在として描かれています。いつも誰かに盗まれてしまう、アンソニーの腕時計。観ている私たちも、ついついアンソニーの手首に目がいき、今の彼に腕時計があるか、ついついその「確かさ」をアンソニーと一緒に確認してしまいます。

 

 仮面病棟 画像2

 

娘アンが抱える葛藤と人生の岐路

愛する父の世話をするのか、自分の人生を歩むのか。

 

この作品は、家族である娘アンの話でもあります。一生懸命父・アンソニーに向き合い、自分の仕事や生活がある中で精一杯やっているのに、目の前の父は、時にきつい口調で怒り、混乱し、不安を吐露し、ごまかすようなそぶりも見せます。また、唐突にアンに感謝の言葉を口にし、戸惑わせもします。そんな、時に苛立たせる関係の中にあっても、父への愛は変わることがありません。これまで認識していた“父親”の変化を目の当たりにしながら、アンのどうしようもない葛藤が画面いっぱいに広がり私たちに訴えかけてきます。

 

仮面病棟 サブ1

 

 

日本にとって身近な“認知症”を専門職として改めて考える

厚生労働省によると、2019年の日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳となり、年々伸び続けています。1)また高齢化と共に、認知症患者の数は増えており、2025年には730万人へ増加し、65歳以上の約5人に1人は、認知症になると推計されています。2)

 

専門職として、日常的に認知症の患者や利用者に接している方もいるでしょうし、両親やパートナーなど、すでに介護をされている方もいるでしょう。読者の皆さんにとっては、仕事でもプライベートでも、“認知症”は身近なテーマとして捉えている方が多いのではないでしょうか。

 

認知症について、世間の理解は進んだと言われています。それでもなお、「認知症の人は、何もわからなくなった人。周りは大変だけれど、本人は何とも思っていない」といったような偏見は根深く残っています。もしかしたら、私たち専門職も、無意識に「できない人」として支援してしまうこともあるかもしれません。

 

本作品は、本人と家族の苦しみや葛藤を、観ている側のこれまでの経験と重ねながら、認知症について考える機会でもあります。

 

また、職業柄、登場する介護人や看護師にもつい注目してしまいますが、改めて日々の自身の認知症の方への対応がどうなのか、また、どうあるべきなのかを考えさせられる場面も多く描かれています。

 

 

老いとは?人生の終末期とは?誰もが避けて通れないテーマを深く考えさせられ、「私を捨てるのか?」とアンソニーがアンにつぶやく一言が、重く胸に響きました。愛する父をとるのか、はたまた自分の人生をとるのか、究極の選択を迫られた娘アンがとった選択とは?

 

誰もが尊厳をもって、ひとりの人として尊重される社会であるように。

アンソニーとアンを通して、私たちは何ができるかを考えてみませんか?

 

 

1) 厚生労働省令和元年簡易生命表 

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life19/dl/life19-02.pdf

2) 厚生労働省 認知症施策の総合的な推進について(参考資料)より

https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/000519620.pdf

3)ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫・猪熊律子著 株式会社KADOKAWA

 

 

作品情報

仮面病棟 ポスター

『ファーザー』

5月14日(金)、全国ロードショー

 

© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF  CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION  TRADEMARK FATHER LIMITED  F COMME FILM  CINÉ-@  ORANGE STUDIO 2020

・・・・・・・・・・・・・・・

 

監督:フロリアン・ゼレール (長編監督一作目)

脚本:クリストファー・ハンプトン(『危険な関係』アカデミー賞脚色賞受賞)

フロリアン・ゼレール

原作:フロリアン・ゼレール(『Le Père』)

出演:アンソニー・ホプキンス(『羊たちの沈黙』アカデミー賞主演男優賞受賞)

オリヴィア・コールマン(『女王陛下のお気に入り』アカデミー賞主演女優賞受賞)

マーク・ゲイティス(「SHERLOCK/シャーロック」シリーズ)

イモージェン・プーツ( 『グリーンルーム』)

ルーファス・シーウェル( 『ジュディ 虹の彼方に』)

オリヴィア・ウィリアムズ( 『シックス・センス』)

 

2020/イギリス・フランス/英語/97分/カラー/スコープ/5.1ch/原題:THE FATHER/字幕翻訳:松浦美奈

配給:ショウゲート

公式サイト:thefather.jp

 

 

 

この記事を評価する

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP