2021.06.28
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新型コロナウイルス感染症でマネジメント層が不在に
~病院組織のリスクマネジメントを考える~

 

編集部より

もしも管理職の立場にある医師が、新型コロナウイルス感染症に感染したら――? 関東地方のある病院では腎臓センター長が新型コロナウイルス感染症に感染し、1カ月以上にわたって「センター長不在」という大きな危機を経験しました。センター長を含めた医師数2~3人という診療体制の中、トップ不在の危機をどのように乗り越えたのか、病院のリスクマネジメントの観点から貴重なお話をうかがいました。

 

取材・文/横井 かずえ

撮影/和知 明(株式会社BrightEN photo)

編集/メディカルサポネット編集部

「病院のベッドで仕事ができるかな」と考えていた初期段階

――日々十分な感染対策をされていたと思いますが、どのような経緯で感染されたのでしょうか? 

 

妻の母が通っていたデイサービスでクラスターが起きたことが発端でした。クラスターが判明する数日前、妻は義母のもとを訪れて2~3時間、実家に滞在しています。しっかり感染対策をしていたのですが結果的に妻も感染し、そこから私にも感染したという経緯です。

 

実家に行った数日後から妻が軽い咳と微熱があったので、念のためと思って知り合いのクリニックで妻だけPCR検査を実施。その日私は病棟へは行かず、外来だけは換気と2m間隔を徹底して行いました。そして翌日には妻の陽性が判明したのです。

 

妻が陽性だという連絡を受けたのは、出勤途中の車の中でした。連絡を聞いてすぐに、病院の玄関前から感染チームと連絡を取って自宅待機。救急外来で診察とPCR検査を受けましたが、抗原検査、血液検査、CTどれも異常なしでした。しかしその日の夜から発熱し、PCR検査の結果も陽性でした。妻はホテルに搬送となったのですが、このときはまだ私は妻を見送るほど体調に余裕があり「数日ほど発熱すれば改善するだろう」と見込んでいたのです。

 

 

ところが妻が搬送された翌日から私自身も39度台の発熱、呼吸苦が出現しました。保健所からは一向に連絡がない中で、どんどん症状が悪化したため勤務する病院へ連絡したところ「1床だけ空いているのですぐに来てください」ということに。到着するとすぐに「酸素が必要」と言われ、改めて自分の症状が深刻であることを知らされました。

 

実は入院当初は「ベッドに電子カルテを持ってきて仕事ができるかな」と考えていたのです。しかしいざ入院すると、とてもそれどころではありませんでした。頭の中に仕事のことなどまるで入ってこないのです。入院して2~3日後に同僚の医師と電話で話をしたのですが、後から聞くと、そのときの私の声があまりにもひどく「これはただごとではない。悪くすると半年、1年はかかる」と考えたそうです。

 

そこで、同僚の医師は腹をくくって、すぐに私の患者を他院に振り分けるための緊急対応に着手したそうです。長めに想定しておいて短くすめばラッキーですが、その逆だった場合は影響が深刻になってしまうため、この判断は賢明だったと思います。結果的に私の退院まで、まる5週間の時間が必要になりました。

 

   

患者を重症度別に3つに分類、重症者はすべて他院に紹介

――ご自身の感染がわかってからどのような対応をとったのですか。 

 

まず、患者さんを重症度別に3つに分類しました。最重症グループと腹膜透析患者さん約200人は、私がお世話になった前職の病院に紹介し、引き受けていただきました。また、そこの病院から週に1~2回、医師を派遣してもらい、軽症者は応援の医師に診ていただきました。その中間の患者さんについては、もともと非常勤で週に1回午前中のみ来ていた先生に午後もお願いして乗り切りました。(図参照)

 

 

 

私が入院した初期の段階で、患者さんを分類して重症例は他院に紹介すると決断したことは、今から思えば同僚が下してくれた大英断でした。これを自分の病院だけでなんとかしようとしていたら、とてもではありませんが残されたスタッフがつぶれていたと思うからです。

 

同僚医師は早期に「診きれない」と大胆に判断し、患者さん1人ひとりに「どこで治療をしたいか」など確認する猶予もなく、重症度に応じて割り振り、紹介状を書いていきました。その話を聞いたときは正直に言って「なんてひどいことをするのだ」とも思いました。しかし結果としてそのときに即座に判断したことが、病院全体や患者さんへの影響を最小限にとどめ、組織を守ることにもつながったのだと今は理解しています。また、MA(Medical Assistant)さんや外来看護師、そして医療連携室の職員の方など、多くのコメディカルスタッフが患者さんの割り振りなどを行ってくれたことも大変助けられ、とても感謝しています。

 

マンパワーのある病院は別として、当院のように2~3人とごく少人数の医師で回している場合、医師が1人欠けた分を院内で他の医師に割り振っていたら、割り振られた医師は疲弊しきってしまうに違いありません。実際に私が外来で受け持つ患者数は数100人に上りますから、残りの医師に割り振ってしまえば、あっという間につぶれてしまいます。仮に1~2週間の短期であればなんとかなるかもしれませんが、1~2カ月など長期にわたる場合は決してベストな判断とはいえないでしょう。

 

このほか当院の場合、もともと1人の患者さんを複数の医師で、そしてチームで診る体制が確立されていました。ですから残された医師にとっても、初めてみる患者さんに対応しなければならないという事態にはなりませんでした。そのことが今回は、結果的に功を奏したのだと感じています。また私がもともと勤めていた病院とも普段から人事交流があったため、今回のような有事にもサポートをしてもらうことができて、本当にありがたいと感じています。

 

  

「重症化のリスクあり」からの回復、そして職場復帰へ

――入院後の経過と仕事を再開するまでのスケジュールを教えてください。

 

最初の2~3週間はなかなか熱が下がらず、CTで肺炎像も確認され、アビガンとデキサメサゾンを内服しました。そして入院から1週間ほどたった頃に「重症化のリスクあり」と判断されて大学病院へ搬送されたのです。大学病院では呼吸状態も悪化してほぼ寝たきりとなりました。3回ほど気持ちのよい瞬間があり「このまま死ぬならそれもよいかもしれない」などという考えが頭をよぎりました。しかし搬送されて10日近くが経過した頃から解熱し、20日が経つ頃には酸素も不要になってリハビリを開始。1カ月が経つ頃になんとか退院できました。

 

退院後、3週間は自宅療養をしました。最初は自宅の階段を上り下りするにも息切れし、携帯酸素が必要でした。自宅周辺の散歩から始めて、職場復帰する頃にはなんとか1時間程度は散歩ができるまでに回復していました。現在は通常と比べて3分の1程度の業務量にセーブしています。入院は積極的にはとっていません。復帰後、最も辛かったのは、マスクをしたまま会話をすることです。息苦しくなってしまうため、今はスポーツ用の通気性のよいマスクを使用しています。退院から3カ月経つ頃には、本格的に初診患者も受けていこうと考えています。

 

   

大きく変化したマネジメント観

――今回の経験からマネジメントの価値観に変化はありましたか?

 

もちろん、ありました。まず、自分が万が一突然診療ができなくなり代わりの医師が代診をされることがあっても、カルテを開けばすぐにわかるように、カルテには簡単な病名で記載するようになりました。これまで私自身は患者さんの情報が頭の中に入っているため、そこまで詳細に記入しないこともあったのです。しかし今は、誰が見ても瞬時に必要な情報がわかるよう、また記載方法もできるだけ個人の癖が出ないように気をつけています。

 

また外来数を減らして、ある程度の重症者に限定するようにしました。これまでは患者さんを一切断らずに、外来も透析も、入院患者も診ていました。「このままだと自分が倒れるのでは」という不安はあったのですが、医師としてすべての患者さんを受け入れるべきと考えていたのです。しかし今回のことをきっかけに同僚とも話し合い、私にしか診られない患者さんにある程度は絞るようにしました。

 

さらに、さまざまなレベルの病気について、曜日によってカラーを持たせる配置にしました(下図参照)。病気をレベル別に分けて、曜日ごとに濃淡をつけて組み替えたのです。これによってグンと仕事がしやすくなりました。症状の重い人と軽い人が混在すると、待ち時間がバラバラでクレームの原因にもなりますし、医師側も混雑している時に透析の導入や移植など深い話をするのはストレスです。その点、曜日を分けて「今日はしっかり話し合う日」とすれば、患者さんも心構えができますし、医療者側も薬剤師や栄養士などチームで対応する余裕が生まれます。

※インタビューをもとに編集部で作成した外来イメージ図(実際とは異なります)

 

 

このほか療法選択について、なるべく早期から将来の治療方針について話し合いを始めるようになりました。これまでは数値的には重症でも、長い間変化のない患者さんには、説明が後回しになっているケースもあったのです。しかし他の先生へ引き継ぐことも考えて、数値で区切って、前倒しで療法選択について説明するように変更しました。

   

日頃から「お互い様」といえる連携体制を構築しよう

――最後に、マネジメントに携わる読者へのメッセージをお願いします。

 

新型コロナウイルス感染症に限らず、さまざまな理由でマネジメントする医師が不在になるケースは多々考えられます。私自身、再度感染するかもしれませんし、一般論としても他の病気や事故、家庭の事情などで医師が不在になることは想定できるでしょう。大規模病院であれば問題ありませんが、少人数で回している病院であれば、日頃から万が一に備えた準備は欠かせません。具体的には「いざというときはここに応援を頼む」という連携先をきちんと考えておくこと。そのためには「お互い様」と言い合える、顔の見える関係を普段から築いておくことが、リスクマネジメントの観点からも重要だと痛感しました。

 

 

 

 

 

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