2019.07.08
5

向中野 千恵子さん(看護師+鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師)

+αで活躍する医療従事者 vol.1

医療従事者の中には「+α」の技能を生かしながら病院以外の多彩なフィールドで活躍する人も少なくありません。こうした人たちは、どのような経緯で「+α」を学び、仕事に生かしているのでしょうか。今回は、看護師経験を活かし自由が丘(東京都目黒区)で鍼灸院を開業した、向中野千恵子さんにお話を伺います。

取材・文/中澤 仁美(ナレッジリング)
撮影/吉永 和久(New Photo Standard LLC.)
編集・構成/高山 真由子(看護師・保健師・看護ジャーナリスト)

 

 

  

  

プロフィール

向中野 千恵子(むかいなかの・ちえこ)

看護師+鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師。横浜市立大学医学部付属高等看護学校を卒業後、慶應義塾大学病院に就職。心臓外科病棟や手術室で経験を積みながら、東洋鍼灸専門学校へ入学し、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。2018年、すこやか鍼灸治療院を開業し、院長を務める。看護師と鍼灸師を両立させ、美容鍼や鍼が苦手な方にも可能な施術を工夫しながら統合医療を目指している。

   

■西洋医学への疑問をきっかけに鍼灸の道へ

――大学病院の心臓外科・呼吸器外科病棟、整形外科病棟、手術室などで働いていた向中野さんが、鍼灸に興味を持った理由は何ですか。

 

看護師として経験を重ねる中で、西洋医学では完治に至らない患者さんの存在が気になり始めたからです。例えば、手術をして、データ上では治療が成功したはずなのに、体調が改善しないと訴える方は少なくありません。また、不具合がありながらも笑顔で退院される方もいます。極端な表現ですが、部品を交換することで修理できることが多い機械と比べて、人間は何が違うのだろう……? そうした疑問を感じるようになったとき、東洋医学に出合いました。

 

「心身一如」(しんしんいちにょ)を基本とする東洋医学では、心と身体を一体のものとしてとらえます。当時は心と身体は二元論で分かれており、「身体が良くなれば問題は解決する」という考え方に違和感を抱いていた私にとって、東洋医学はとてもしっくりきたのです。

  

西洋医学と東洋医学、両方を経験しそれぞれの良さを活かすことが大切と語る向中野さん

  

――東洋医学を学ぶ手段の一つとして鍼灸を選んだのですね。具体的には、どのように勉強したのですか。

 

大学病院に勤務しながら鍼灸専門学校の夜間部へ3年間通いました。当時、病棟は3交代制の勤務でしたが、私がいた手術室は2交代制で、同僚の中にも勉強や習い事をしている人が数名いました。専門学校の授業は平日18:00~21:00だったので、それに合わせてシフトを調整。仕事と勉強の両立は楽ではありませんでしたが、クラスメイトに看護師が5人いたり、社会人として様々なバックグラウンドを持った人たちがいたりして、和気あいあいとした楽しい時間を過ごせました。疲れている日には積極的に患者役を買って出て、横になっているうちにウトウト……なんてこともありましたね。授業でクラスメイトに施術してもらうだけでも、その後はずいぶん体が楽になる実感があったことを覚えています。

 

■紆余曲折あっても失われなかった情熱

――専門学校を卒業してからも、すぐには鍼灸師として働かなかったそうですね。

 

実は、一度は鍼灸院への就職が決まり大学病院を退職していたのですが、先方の都合で採用が見送りになってしまったのです。当時は鍼灸を取り入れている病院は少なく、看護師と鍼灸師の両立はかないませんでした。そこで心機一転し、今までとは違うかたちで看護師として働いてみることにしました。クリニック、訪問看護、ツアーナース、イベント救護、看護実習の講師、学校保健室……。業務内容が日替わりの日も多々ありました。「看護」と名の付くものには何でもチャレンジしようと、思い当たるものを一通り経験したころ、ちょうど50歳を迎えていました。

 

最近は鍼灸に関心を寄せる人も増えてきており、これからの人生を考えたとき「今なら両立できる」「やはり鍼灸の道をあきらめたくない」という思いが再燃してきました。看護師としてさまざまな経験をした今なら、自分の理想とする施術が実現できるかもしれないとも思いました。しかし、鍼灸学校を卒業してから15年以上たっており、いわばペーパードライバーのような状態だったので、同じ専門学校で2年間の卒後研修を受け、論理や技術などを勉強し直すことにしたのです。

 

身体に触れながらどの鍼をどう使うか見極める

 

――その後、独立開業するまでには、どのようないきさつがあったのですか。

 

偶然にも鍼灸界で名高い東明堂石原鍼灸院の石原克己先生との出会いがあり、先生が使う「古代九鍼(こだいきゅうしん)」という鍼に衝撃を受け、卒後研修と同時並行するかたちで4年間ほど勉強しました。患者さんの心までケアする先生の下で経験を積み、少しずつ自分のやりたいことが明確になっていったように思います。

  

また、研修時代から働き始めた整形外科クリニックの存在も大きかったです。麹町リバースという元々老舗の大きな鍼灸院でしたが、5年前に1階が整形外科、2階がリハビリテーション、3階が鍼灸院に改装された所でした。そこで平日は看護師として業務しながら、鍼灸院のスタッフさんがお休みの時に鍼灸院を使わせてもらえたのです。そこで“プチ開業”するようなかたちで、少しずつ患者さんが来てくれるようになったことが、独立の足がかりとなりました。

 

とはいえ、「〇歳までに開業しよう」と明確に目標を定めていたわけではありません。勤務先の状況や資金面、自身の心構えなどの条件が整う瞬間を待って、流れに乗るチャンスを逃さなかったことが、開業に至るために大切だったように思います。

 

駅から徒歩5分とは思えない静かな環境で心身共にリラックスできる

   

■専門性だけでなく「器を広げる」ことも大切に

――現在は、どのようなかたちで仕事をしているのですか。

 

先に言った整形外科クリニックで看護師として週3日働くほか、月に数回は休日診療所の業務も挟みながら、それ以外の日で自身の鍼灸院の仕事をしています。独立開業するにあたってこだわったのは、場所。自由が丘は交通の便が良く、さまざまな人が集まる華やかな街です。以前、自分で住んでいて楽しかったこともあり、通院してくださる患者さんにも幸せな気持ちになってもらえるのではと考え、選びました。

 

口コミを中心に集客しているため、患者さんは医療従事者やそのご家族が多いです。鍼灸は一対一で行うデリケートな施術ですから、たくさん数をこなせばよいというのではなく、自分の身体に向き合いたいと願う患者さんの個別性を大切にしながら関わっていきたいと思っています。

開業に向けて数年かけてそろえた鍼。1本数千円~数万円するものもある

 

――向中野さんが考える、これからの夢や目標を聞かせてください。

 

現在は、看護師としての仕事が7割、鍼灸院の仕事が3割くらいという感覚です。できる限り両立して、いずれは鍼灸院の割合を増やしていき、鍼灸一本で生活していけるようになることが目標です。これまで看護師としてたくさんの患者さんを看て、触れてきた経験を生かし、西洋医学と東洋医学の懸け橋になれるような、心身ともに癒せるような鍼灸師でありたいと願っています。

 

現在も勤務しているクリニックの3階には、80歳を超えてなお現役の女性鍼灸師である院長先生がいらっしゃいます。ご自身も病気を患い、体調が万全というわけではないはずなのに、鍼を持つと凛々しく変わる姿を見て、彼女のように、いつまでもプロフェショナルとして活躍し続けたいという思いもありますね。

 

看護師+鍼灸師という新しいキャリアで理想の施術を目指す

 

――最後に「+α」をめざす医療職の皆さんにメッセージをお願いします。

 

医療の仕事をしていると、特定の専門分野を掘り下げることに集中しがちですが、自分の器そのものを大きく広げていくことも重要です。人生は自分自身に秘められた可能性を磨きながら、心豊かに日々生きていくことが大切だと思っています。そして可能性は無限です。だからこそ、自分という存在を簡単に定義せず、いろいろなことを楽しめる気持ちを忘れずにいたほうがよいと思います。どこにどんなチャンスが転がっているか分かりませんから、気になったことがあれば尻込みすることなくチャレンジしてみてください。

すこやか鍼灸治療院

住所:東京都世田谷区奥沢6-19-22 自由ヶ丘ロイヤルハイツ306

URL:https://www.sukoyaka-shinkyu.com/

個々の心身を調えることによって、心から湧き上がる笑顔を生み、その笑顔が周囲の方々にも循環することを目指す、すこやか鍼灸治療院。鍼灸は心と身体の不調を調えるのに有効であり、また院長自身が長年培った医療者としての実績から、健康へのアドバイスやカウンセリングを行うことにより、患者の健康生活をサポートしている。

(取材日/2019年6月7日)

 

 

目次 はこちら↑

この記事を評価する

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP